御宿410年前の歴史~ドン・ロドリゴと現在のコロナ禍御宿~
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この度、御宿のクラウドファンディングにご協力頂きました皆様に、町民として厚く御礼申し上げます。昨年までコロナのような怖いウィルスに悩まされるとは考えてもみませんでした。
今回はお友達に、地元御宿を紹介したくて改めて、410年前の歴史にふれたのでご紹介したいと思います。(ご存知の方もいらっしゃるとは思いますがどうぞお付き合いください)
ドンロドリゴ上陸の地(田尻海岸)
それは、御宿町民ならば一度は聞く、今から410年前の人命救助の物語…
「岩和田は我国貿易史上わするべからざる地である」
この言葉は、元スペイン(現メキシコ)臨時総督ドン・ロドリゴの言葉です。「日本見聞録より」
以下、数年前LPガス協会新聞に御宿を紹介した記事を掲載します。
<あらすじ>
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わが町御宿は、きれいな海、白い砂浜、月の沙漠の童謡の地等で有名ですが、今回は1609年に岩和田田尻沖で嵐に会い遭難し救助された、ドン・ロドリゴについて少し紹介します。 サン・フランシスコ号
ドン・ロドリゴは当時スペイン領フィリピンの臨時総督の任務を終えてメキシコへ帰る途中、旧岩和田村(現御宿)の田尻沖で、台風にあい遭難したところ、岩和田の村民に救助され、凍えた乗組員を素肌で温め、衣類や食料を惜しみなく提供し、乗組員373人のうち、317人の命が救われました。
救助されたドン・ロドリゴ一行は、大多喜藩主本多忠朝に歓待され、本多忠朝の取り計らいで二代将軍徳川秀忠に謁見し、江戸を見聞して、駿府に行き徳川家康と会見したりしました。その後、家康からウィリアム・アダムスの建造したガレオン船の提供を受け、翌年1610年アカプルコに無事帰還する事ができたそうです。
しかし、なぜ?
ドン・ロドリゴ一行は、大多喜で歓待され、将軍徳川秀忠に会い、徳川家康にも会い、その上、船まで頂いて帰れたのでしょうか?
実はその頃、徳川家康は代々のフィリピン総督に対して「朱印船貿易の拡大」や「メキシコへ向かうフィリピン船関東立ち寄り」や「メキシコとの直接貿易」等の要請をしていたのです。しかしこれらに対する確たる回答は無く、「ドン・ロドリゴは関東の港に立ち寄る」という返書を受け取っていたのです。その矢先の遭難でした。
ドン・ロドリゴは家康との面談で、①宣教師の保護②スペインとの友好親善③日本にいるオランダ人を退去させるという三か条の請願書を提出し、家康は①と②を了承し③はすでに滞在居を与えているので、すぐには困難と回答しました。
また、家康から鉱山精錬技術等の供与を要請したそうです。そこで、1610年ドン・ロドリゴの帰還する船に家康の使節団を乗せて送り込み、その翌年1611年には、その使節団は、鉱山精錬技術等を連れて日本に帰ってきます。そして日本の金山銀山では、海外の精錬技術が伝授され飛躍的に生産量が上がったのです。
徳川幕府260年の繁栄には、この技術があったからだと思いたい。
そして、その2年後の1613年今度は、仙台藩伊達政宗公による慶長遣欧使節団を乗せて帰還していきました。
近年では、1978年にロペスメキシコ大統領が来町され、2009年9月26日には日本メキシコ交流400周年記念式典が開催され、皇太子さまをはじめ駐日メキシコ、スペイン両大使や武正外務副大臣、森田知事等が出席なされ盛大に行われました。またメキシコ彫刻界の巨匠ラファエル・ゲレロ氏の作品「抱擁」がメキシコ政府から贈呈されました。
鎖国の時代にも、人の命の大切さを身をもって証明した村民、本当に大切なものを今なお大人から子供へ受け継いでゆく町。そんな心の温かさを感じる町それが「御宿」です。
LPガス協会「炎の仲間」平成27年6月1日号へ掲載 小川 豊
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この史実は、鎖国やキリスト教禁教令が出されたこともあり、自然に語られることもなく歴史に埋もれていましたが、明治の初め条約改正交渉打診の為に、派遣された岩倉具視らが訪問先でこの話を聞かされ、再び日本人が知る事になったそうです。
私も金井栄一郎さん著書の「ドン・ロドリゴ物語」を小学生の頃に読んだり、ロペス大統領が来町された時は、日の丸の旗とメキシコの旗を両手に持って歓迎式の列に並んでお迎えしました。
今回改めて、ドンロドリゴ一行の足取りをたどってゆくと当時の世界情勢を背景に日本がたどってゆく歴史の裏側で、1も2もなく人命救助を最優先とした事は、その後の日本にとっても、またのちの私たちにとってもとても大切な事だったと感じました。
現在も御宿ビーチでは、人命救助にかかわるライフセービングの大会が開かれている事や、普段から地元の方たちの情の厚さなど、すべては時間軸で繋がっているのかな?と思うと胸が熱くなります。またはるか遠い昔の先人たちを尊敬し誇りにも思いました。
この年になり、折に触れ私たちが聞いてきた事を後世にも残していきたいなと感じる今日この頃です。
長くなりますが、コロナ禍で何が最優先なのか?情勢がコロコロ変わってゆく中で日々自分に問いただしています。
withコロナ…
御宿町は観光の町ですが、今年海水浴場もプールも開設しませんでした。現時点で経済が回らず苦しい時が続きます。ですが感染が拡大すれば結局は、もっと自分達の首を絞めてゆく結果になっていくと思います。
今はただ迎える側も来る側も自分達にできるマナーを最大限に守りながら、この御宿のキレイな海と砂浜を共有できたらいいなと思っています。
調べるにあたり千葉県ホームページ、御宿町観光協会の記事そして御宿史を参考にさせてもらいました。
https://www.pref.chiba.lg.jp/kokusai/kokusaikouryuu/exchange/mexico/index.html
https://onjuku-kankou.com/look/#tajiri
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